2012年04月13日
夢の電子楽器!

3月25日投稿記事の続編です。本日は真面目にいきますっ!
1959年5月日本初のエレクトーン試作機ETー5が完成お披露目されたその年の12月に市販のエレクトーン第一号「D-1」が誕生しました。写真の商品ですが、53年前とは思えない古さも感じない完成されたデザインだと思いませんか!何より素晴らしいのが世界から注目を集めた3つの独創的な機能です。電子オルガン製造では、先行するアメリカやイタリア、オランダなどに有名メーカーがひしめき、開発に当たっては海外の電子オルガンの研究から入りました。だからこそ独創的なアイデアにこだわり見事実現したのです。
それが、サスティン、マンドリン、パーカッションでした。それぞれ特許を取得しています。サスティンとは、鍵盤から指を離しても音をポーンと響かせることが出来る機能で、先輩のハモンドオルガンにも当然このような発想の機能はなく、ふわふわと柔らかい音が響きました。マンドリンというのは、断続的な音を発してマンドリンとそっくりの音色が出るというだけではなく、マンドリンの音色にこだわらず様々な音にマンドリン効果をかけました。パーカッションは、ポンッ、ピッ、パッ、シーッと言うようなパーカッシブな音の出る4種類のボタンがありました。当時のプレイヤーは汽車や波の音に見立てて演奏に取り入れたようです。これらの独創的な機能は電子オルガンに関心を持っていた人々に大興奮のセンセーションを巻き起こしたことは言うまでもありません。ちなみに価格は35万円と当時では大変高価なものでしたが、国内外のテレビ局やステージではひっぱりだこだったようです。
こんな感じで調べていたら、D-1が欲しくなりました!!誰か情報あったらお教え下さい!買います!個人的でも!
それでは本日もファイト~いっぱ~~っつ!!
2012年03月25日
試作機ET-5

日曜日増刊号!いつもより長めで頑張っちゃいます!毎日脈絡の無い思いつきの投稿で すいません。今回は、ヤマハのエレクトーンの歴史を振り返りたくなりました。1887年に国産初のオルガン(写真、つま恋に展示)を山葉寅楠(ヤマハ初代社長)が完成させてから72年後の1959年(昭和34年です。私の奥さんの生まれる2年前だ(笑)その年にサウンドイシカワも開業したんですよ)5月に国産初のエレクトーン試作機ET-5が完成しました。欧米で先行していた電子オルガンは真空管が主流であったのに対して、メインアンプに真空管を使う以外は全ての回路にトランジスタが使用され、大幅に故障が減ったことが特長です。試作機は、3段61鍵盤、32の足鍵盤、300近い音色その他のスイッチ類、エクスプレッションペダルが3つ(先生!これ何?)、スピーカーは15個でトランジスタは3600個も使用!(ちょっと寄り道!真空管?トランジスタ?て何?・・・ですよね?はいっ調べました!どちらも電圧、電流のを増幅させる装置です。弱い電流信号を強い電流信号に変える増幅器。弱から強の自動のスイッチですかね。
真空管はスイッチONで電極が過熱して作動するまで20秒位かかり、発熱が激しく、ガラス管も高熱になります。ガラス管内の電子の流れを良くするために真空になってます。トランジスタは、金属のような通電物質とゴムのような非通電物質の中間のような性質の装置である半導体からできています。スイッチONですぐに動作して、発熱はほとんどない、低電圧で低消費電力で本体も小さいものです。性能アップがわかりますが、その後、1960年以降は電子機器の更なる高速化複雑化により、トランジスタに替わり、集積回路といういわゆる「IC回路」「IC」が開発され現在に至るようです。現在のステージアはIC回路で電圧、電流調整を行っているはずです。寄り道終わり!)
このトランジスタ3600個の大規模な楽器はジェット機のコクピットのようだったそうです。楽器本体に入りきらない電子部品は洋服ダンス2つ分程の別の大きなボックスに収めました。二人の技術者がいないと演奏できなかったようです。そんなET-5はハモンドオルガンの奏者として活躍していた「道 志郎」らにより現在のヤマハホールで披露されました。そしてナント!
その年の12月に「夢の電子楽器 エレクトーン第一号 D-1」が早くも完成しました!この続きはまたのお楽しみに・・・・。
さぁ本日もファイト~いっぱ~~つっ!! ですが、本日明日とお休みを頂きまして、愛娘2人とMy Sweet Wifeの4人家族でスノボー旅行に行ってきます。